犯罪が処罰されない、あるいは警察の対応が追いついていないと感じたとき、「私刑（リンチ）」という言葉が頭をよぎる人もいるかもしれません。確かに、正義が果たされないときに湧き上がる憤りは理解できます。しかし、「私刑を認めるか、警察を強化するか」という単純な二択では、私たちが築いてきた法治社会の意義を見失ってしまいます。
そもそも「私刑」とは何か？
私刑とは、国家の権限ではなく、個人や集団が自らの判断で他者を処罰・制裁する行為を指します。たとえば、犯罪者とされる人物の自宅を特定してネットに晒す「晒し行為」や、暴力による報復行為などがこれに該当します。
このような行為は、法の手続きを経ない一方的な断罪であり、冤罪や誤認による深刻な人権侵害を生む危険があります。現代の法制度は、そのリスクを避けるために「手続きの公正さ」を重視しています。
なぜ私刑は許されないのか
社会において「私刑」が容認されてしまうと、誰もが「加害者」にされる危険があります。怒りや憤りが正義と混同されることで、本来守られるべき「無実の推定」や「法の下の平等」が崩壊してしまいます。
歴史的にも、魔女狩りや暴徒による制裁が冤罪を生み、無関係な人々が犠牲になるケースは少なくありません。感情に任せた制裁が社会秩序を崩すことは、過去の多くの事例が証明しています。
警察のマンパワー不足という現実
とはいえ、「犯罪者が野放しにされている」と感じる現場があるのも事実です。捜査には証拠の収集、容疑者の特定、法的な手続きを踏む必要があり、即時対応が困難なケースも多々あります。
また、地域によっては人員や予算の不足、通報の多様化による対応の限界など、構造的な問題が複雑に絡んでいます。警察組織の改革やIT活用による効率化など、制度改善の余地は大いにあります。
感情ではなく制度で正義を実現する社会へ
私刑を「正義の執行」と捉えてしまうと、社会が持つ「法に基づいた判断」という大原則が崩れてしまいます。仮に一度うまくいったように見えても、その成功体験が模倣を生み、暴走を誘発することになりかねません。
犯罪被害者やその家族が納得できる制度作り、加害者の更生を含む社会的アプローチの整備、警察や司法機関への信頼を取り戻す仕組みなど、冷静に制度で対応することが求められます。
まとめ：短絡的な選択肢の先にある危うさ
「私刑を認めるか、警察を強化するか」という構図は、社会の複雑さを単純化しすぎています。真に必要なのは、感情ではなく制度と対話を通じた解決です。
社会全体として「法治」の原則を守りつつ、市民の声を反映した改革を進めることが、正義と安全を両立するための最善の道と言えるでしょう。