明治民法の編成と改正の歴史:明治29年法律第89号と明治31年法律第9号の関係を読み解く

日本の近代民法の起点ともいえる明治民法。その法典がどのように成立し、どのように公布されたのかを正確に理解することは、法律学習において重要なテーマです。今回は、明治29年法律第89号と明治31年法律第9号の関係について、制度的背景とともに整理していきます。

明治29年法律第89号とは?

明治29年法律第89号は、日本の民法のうち第一編「総則」と第二編「物権」を規定した法令です。この法令は、1896年(明治29年)に公布され、1898年(明治31年)に施行されました。

このとき、民法の全体像としてはすでに五編構成(第一編~第五編)で設計されていたものの、実際に公布されたのは第一編・第二編までであり、それ以外の第三編以降の実施は後回しとされました。

なぜ第三編以降が遅れて公布されたのか?

この背景には、「旧民法」と呼ばれるボワソナード草案への批判が関係しています。旧民法はフランス法を強く意識した構成で、これに対して日本の実情に合わないとの反発が起こり、「民法典論争」へと発展しました。

結果として、旧民法の施行は延期され、法典調査会が設けられ、日本の伝統と実情を考慮した新しい民法典の編纂が進められたのです。その一部として、第三編「債権」、第四編「親族」、第五編「相続」は、少し遅れて整備されることとなりました。

明治31年法律第9号の役割

明治31年法律第9号は、第三編「債権」、第四編「親族」、第五編「相続」を新たに制定した法令であり、これによって日本の民法はついに五編すべてが揃いました。この法令は、単に新しい法律というより、明治29年法律第89号を補完する形で機能しました。

したがって、民法は「複数の法律によって段階的に完成された」と言うのが正確です。

「改正」か「追加制定」か?

質問の核心でもある「明治31年法律第9号は明治29年法律第89号の改正なのか?」という点については、明確に「改正ではなく、追加制定」と考えるのが通説です。

実際、明治31年法律第9号では明治29年法律第89号を条文単位で変更したり削除したりする記載はなく、新たに独立した第三編以降を制定した構成になっています。この点からも、体系としては一体の民法であるが、法的には別々の法律行為として取り扱われたことが分かります。

現行民法とのつながり

その後、1947年の日本国憲法施行以降、民法は幾度となく改正が加えられてきましたが、明治民法の五編構成は現行民法にも基本的に引き継がれています。とくに親族・相続分野では戦後に大きな改正があり、今日では家族法として独立した重要な地位を占めています。

また、令和の民法改正では債権法にも大規模な見直しが加えられたため、学習者にとっては「明治民法の全体像」と「現代民法の実務的運用」の両方を押さえることが求められます

まとめ

明治民法は、まず明治29年法律第89号によって第一編・第二編が公布され、その後、明治31年法律第9号により第三編~第五編が追加制定されるという段階的な経緯で成立しました。したがって、明治31年法律第9号は明治29年法律第89号の「改正」ではなく、「補完的な制定」と捉えるのが正確です。

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