製造業や金型業界において、正式な発注書を待たずに「指示書」だけで作業を開始するケースは少なくありません。しかし、下請法では書面の交付義務が明確に定められており、書面不備のまま作業を開始した場合、トラブルが起きた際の責任の所在が不明確になる可能性もあります。この記事では、下請法の観点から発注書面のルールと、指示書だけで業務を開始すべきか迷ったときの判断基準について詳しく解説します。
下請法における発注書面の義務とは?
下請代金支払遅延等防止法(通称:下請法)では、親事業者(発注側)は下請事業者に対し、契約内容を明記した「書面の交付」が義務付けられています。
具体的には、以下の内容を記載した書面(発注書・契約書など)を交付しなければなりません。
- 製造・業務の内容
- 受領の時期・納期
- 対価の額(またはその計算方法)
- 支払期日
- 支払方法
- その他重要事項
したがって、金額が明示されていない「指示書」だけでは、この要件を満たしておらず、形式的には下請法違反となり得ます。
指示書だけで作業を開始するリスク
指示書により業務の概要(部品名・納期など)のみが示され、金額が記載されていない状態で作業を開始すると、後から条件に関する食い違いが発生した際に法的保護を受けにくくなります。
例えば、以下のようなトラブルが想定されます。
- 見積額と発注額に差異が生じた場合、交渉が難航する
- 納期や仕様に関する齟齬が生じた際、下請側に不利な扱いを受ける
- 正式な注文書が来ないまま納品となり、支払遅延や未払いが発生する
特に金型製作のように作業開始後の中断や修正が困難な業務では、書面の整備が極めて重要です。
正式書類が発行されるまで業務を保留した場合の責任は?
発注側が正式な注文書を出していない場合、下請業者が作業を開始しないという判断は正当な対応といえます。下請法上、書面交付義務を怠った親事業者側に責任があるとされる可能性が高く、仮に納期に間に合わなくなっても、責任の多くは親事業者にあります。
ただし、現実的には商取引上の関係性や継続取引の影響もあるため、納期遅延について下請側が一部責任を問われる可能性もゼロではありません。そのため、事前に以下のような対応をとることが望ましいです。
- 指示書受領時に「発注書が来るまで作業は保留」と書面で通知
- メール等で「正式発注書が届き次第、作業に入る」と証拠を残す
- 口頭指示には応じず、必ず書面で記録を取る
こうした記録があれば、万が一トラブルになっても法的・商習慣的に自社の対応を正当化できます。
現場でよくある「見積り通りだから問題ない」は危険
「注文書は後で出すけど、金額は見積もり通りだから大丈夫」というケースは業界ではよくある話です。しかし、これに安易に応じてしまうと、後日になって「実は条件が違っていた」「追加指示はしていない」と主張される危険があります。
金額が一致していたとしても、「正式発注前の作業」自体が契約上グレーゾーンであり、支払いをめぐる争いになった場合には大きなリスクとなります。
発注側との関係を維持しながらリスク回避する方法
長年の取引先であっても、トラブル回避のためには以下のようなバランス感覚が求められます。
- 「正式発注書を受け取ってから作業を開始する」という原則を周知徹底
- 緊急対応が求められる場合でも、「見積書を受領したこと」「発注意思が明確にあったこと」を記録として残す
- 場合によっては簡易的な覚書やメール確認を依頼する
こうした対応は、取引関係の信頼を損なうのではなく、「健全な契約意識を持つ事業者」としての信頼を高めることにも繋がります。
まとめ:正式な発注書類なしでの業務開始は避けるべき
金額の入っていない指示書のみで業務を開始することには法的・実務的なリスクが伴います。下請法では親事業者に発注書面交付の義務があるため、書面が整っていない段階で業務を保留しても、その遅延の責任は原則として親事業者にあると考えられます。
トラブルを未然に防ぐためにも、正式な発注書類を受領してから作業を開始する体制の整備と、それを貫くための社内ルールや文書化対応を徹底することが重要です。
実務上の判断に迷う場合は、公正取引委員会の下請法相談窓口なども活用して、専門的な助言を受けましょう。