刑法における具体的事実の錯誤と客体の錯誤|法定的符合説と具体的符合説の理解を深める

刑法を学び始めると、「故意」の認定において具体的事実の錯誤、とりわけ「客体の錯誤」と「方法の錯誤」による違いに戸惑うことは少なくありません。今回は、具体的符合説と法定的符合説という二つの故意認定の理論から、なぜ客体の錯誤においては両説とも「故意あり」と評価されるのかを、わかりやすく解説します。

具体的事実の錯誤とは何か?

具体的事実の錯誤とは、犯人が犯罪を行う際に想定していた事実と、実際に発生した事実にズレがある場合を指します。例えば、殺意をもってAを狙って撃ったが、誤ってBに命中してしまったケースなどが該当します。

このような錯誤があったときに、犯人に「故意」があるといえるかが問題となり、学説上では大きく「法定的符合説」と「具体的符合説」の2つがあります。

法定的符合説の立場とその判断基準

法定的符合説では、行為者の主観的認識が「法律上の構成要件」に該当するかどうかで故意の有無を判断します。

つまり、Aを殺そうとして誤ってBを殺したとしても、「殺人罪」という構成要件には変わりがないため、結果的に「故意あり」とされます。この理論は「構成要件に照らして客観的に一致していればよい」とする見解です。

具体的符合説の立場とその判断基準

一方で具体的符合説は、行為者が想定した事実と実際の事実が「具体的に一致しているか」で故意を認めるか否かを判断します。

たとえば、XがAを殺そうとして発砲し、Aだと思い込んでいたBに命中した場合、Bが人間である以上「同一の客体(=人間)」として評価されます。このため、Xの想定と結果が“具体的に一致している”とみなされ、故意が肯定されます。

「個人」と「人間」の区別とその理由

「AとBは別の人間なのに、なぜ具体的符合説では一致とみなされるのか」という疑問はもっともです。

具体的符合説が着目するのは、「構成要件が予定している類型的な客体」です。殺人罪の構成要件は「人を殺すこと」であり、「Aさんを殺すこと」ではありません。つまり、個人ではなく「人間一般」が犯罪の客体とされているのです。

そのため、Aと誤信してBを殺しても、構成要件上の「人間を殺す」という点では具体的一致があると解釈されます。

方法の錯誤との違いを明確にする

方法の錯誤では、たとえば毒入りのジュースでAを殺そうとしたが、実際にはジュースに毒が入っておらず、Aは自動車事故で死亡したというような事例が考えられます。

この場合、具体的符合説では「行為者の予想していた方法と、実際に生じた結果との間に具体的一致がない」と判断されるため、故意は否定される可能性があります。一方で法定的符合説では、死の結果が発生し、それが殺人罪の構成要件に一致するため、故意は肯定される傾向があります。

結論:客体の錯誤では両説が一致する理由

結論として、客体の錯誤において法定的符合説と具体的符合説が同じ結論(=故意あり)に至るのは、いずれも「殺人罪の対象が『人間』である」という点に立脚しているからです。

具体的符合説では、行為者が想定した「人間を殺す」という意図と、実際に「人間を殺した」という結果が一致しており、これが故意を認める根拠となります。誤って違う個人を殺してしまったとしても、構成要件上の「人」という枠組みには合致するため、両説ともに故意を認定するのです。

まとめ:理解を深めるために押さえておくべき視点

刑法の錯誤論は、構成要件の意味と故意の成立要件を理解するうえで極めて重要なテーマです。

客体の錯誤では「個人の違い」よりも「類型的対象(人)」に注目し、方法の錯誤では「手段・因果関係のズレ」に焦点が当たります。この視点を意識すれば、具体的符合説と法定的符合説の違いと、それぞれが故意を肯定・否定する理由がよりクリアに見えてくるでしょう。

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