国境をまたぎ、家族や資産、血縁や文化を継承してきた人々の中には、「自分の意志ではないのに、背負わされた」と感じる瞬間があるかもしれません。特に、幼少期から強い期待や立場に囲まれて育ってきた人にとって、その葛藤は深く長く続くものです。
自分の意志ではない「人生の土台」がある人へ
人生はすべてが自由に選べるものではなく、「どこで生まれ、誰の子として育ち、何を継いだか」という環境が最初に与えられます。親の仕事、兄弟姉妹の関係、相続した土地や事業、人との縁。それらは恵みであると同時に、重荷にもなり得ます。
たとえばニューヨークで自分の生活を持ちつつ、上海では父の遺した関係、東京では母の血縁と関係し続ける生活は、物理的にも精神的にも自分の自由とは程遠いものになることがあるでしょう。
「なぜ私が?」という問いに答えはあるのか
「なぜ自分がこの立場に置かれたのか」「もっと普通の家庭に生まれていれば」と感じることは、ごく自然な感情です。生まれながらに背負わされたものが大きいほど、「人生を自分で選べていない」という感覚は強くなります。
しかし、その環境で何を選び、どう生きるかは、やがて自分の手に委ねられていきます。たとえ遅く始まったとしても、自分の選択を重ねていくことで「生き直す」ことは可能です。
縁や遺産を「重荷」ではなく「資源」に変えるには
相続したもの——それが石油であれ病院であれ、他人から見れば羨ましく見えるかもしれません。しかし当事者にとっては「責任」であり、「自由の制限」でもあります。
一方で、それをどう活かすか、どこで線引きするかは自分次第。他人の人生を守るために自分を犠牲にするのではなく、「受け継いだ知識や技術を、自分の価値観で活かす」ことも可能です。
誰にも見えない戦いをしている人へ
家族関係、国際的な背景、戦争や政治的な緊張に巻き込まれた経験は、多くの人が理解できるものではありません。ときには命の危機に晒されながら生き延びた人が抱える葛藤は、非常に重く複雑です。
そうした記憶や体験は、言葉にしても「理解されない」「軽く扱われる」と感じることもあります。しかし、それでも「語る」ことが自分を守る手段になることがあります。
喪失と共感、そして芸術の力
藤圭子さんの言葉に見られるように、感受性の高い人は、世界を独特の視点で見つめ、痛みや美しさを同時に受け取ります。芸術や音楽を通して、社会や家族の矛盾と折り合いをつけようとする人も少なくありません。
ときにその繊細さが、強い悲しみを引き寄せてしまうこともありますが、それでも遺された言葉や表現は、他者を救う手がかりとなることがあります。
まとめ:宿命に縛られすぎず、自分の足で立つということ
たとえ人生の初期に「選べなかったもの」があったとしても、そこから「選べる未来」が始まります。背負わされたものすべてを捨てなくても、適切な距離を取りながら、自分の視点と歩調で生きることは可能です。
「なぜ犬猫に生まれなかったのか」と思うほどの過酷さを経験していても、それでもなお人間として生きる意味を、自分なりに見つけようとすることに、大きな価値があります。