刑法総論において、特に不真正不作為犯の成否や共犯関係の解釈は非常に複雑であり、実務上も学術上も議論が分かれる論点の一つです。本記事では、Xが作為によってVを殺害した事例において、Y(Vの母)が作為義務を負う立場でありながらも意思連絡なくXの殺害行為を容易にした場合に、Yに不真正不作為犯としての殺人罪の成立が認められるかを検討します。
不真正不作為犯とは何か
不真正不作為犯とは、法的作為義務のある者が必要な作為をしなかったことにより結果が発生した場合に成立する犯罪形態です。たとえば、親が子どもに食事を与えず死亡させた場合の保護責任者遺棄致死などが該当します。
このような場合、作為義務がどのような法的根拠に基づくか(契約・慣習・事実行為など)や、その義務に違反した態様がどの程度因果的関与を持つかが重要になります。
作為義務の有無とその範囲
今回の事例で注目すべきは、YがVの母親であるという点です。親は民法上および刑法上、自己の子に対して生命・身体の保護義務を負います。この義務に基づき、Vが危険に晒されている状況でYが救助可能であったにもかかわらずそれを行わなかった場合、不作為による結果発生の責任が問われる余地があります。
また、Yが自ら積極的にVの死亡を望んだかどうかではなく、「Xの行為を知りつつ、結果を防止できたにもかかわらずあえて何もしなかったか」が重要な検討要素です。
共犯と単独正犯の区別
YがXと意思連絡をしていないことから、共同正犯(刑法60条)は成立しません。しかし、Yが自身の作為義務に基づきVの死を防げた立場であり、かつXの行為を認識していた場合には、単独の不真正不作為犯として殺人罪(刑法199条)が成立する可能性があります。
判例上も「形式的な共謀は不要であり、事実上の協力や放置が法的義務違反にあたれば独立した犯罪として構成できる」とされています。
判例および学説の動向
学説上は、「形式的共謀を伴わない並行的共犯」が議論されており、共謀なき共犯の可能性も認める見解が増えています。一方、判例では明確な意思連絡がなければ共犯として処罰されにくい傾向があるものの、不作為による結果への因果的関与が強ければ正犯としての評価もあり得ます。
実務では、Yの心証(殺意)・Xの行為の具体的状況・Yがどの程度結果防止可能だったか等を総合評価して処罰の可否が判断されます。
実例による検討:母親による放置事案
たとえば、過去に母親が子どもを虐待する交際相手の行動を知りながら何ら止めず、子どもが死亡したケースにおいて、母親も不真正不作為の殺人罪に問われた判例があります。この場合、直接手を下さなくても救助可能な立場にありながら放置した点が重視されました。
今回のX・Yのようなケースでも、YがVの母として救助義務を負う立場にありながら結果を容易にしたならば、実質的に正犯として評価される可能性は十分にあります。
まとめ:殺人罪の成立可能性と判断の枠組み
Yについて、Xとの意思連絡がないことから共同正犯の成立は難しいものの、Yが法的作為義務(親としての保護義務)を有し、それを放棄した結果Vの死亡を容易にした場合には、不真正不作為犯としての単独正犯の殺人罪が成立する余地があります。
重要なのは、①作為義務の有無、②救助可能性、③Xの行為認識、④Yの主観的意図などを総合的に検討することです。刑法総論における不真正不作為犯の典型例として、学習や実務において重要な論点となるでしょう。