生類憐みの令は本当に悪法だったのか?現代から見直す江戸時代の動物保護政策

日本史の中でもしばしば“悪法”として語られる「生類憐みの令」。しかし、この法令の本質を見つめ直すと、単なる奇異な命令ではなく、現代の動物愛護や福祉の視点から再評価すべき側面も多く見えてきます。

生類憐みの令とは何だったのか?

生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)は、江戸時代・第5代将軍徳川綱吉によって発布された一連の法令です。1685年頃から十数年にわたり、犬や猫、魚類、さらには人間の弱者である病人や捨て子に至るまで、広く「生類」を保護する内容が盛り込まれていました。

特に犬に対する保護が顕著だったため、「犬公方」と揶揄されることもあり、庶民からの反感を買うことも多かったとされています。

なぜ悪法とされてきたのか

江戸時代の記録や後世の教科書では、「犬に異様な保護をした法令」として否定的に紹介されることが多く、その印象が強く残りました。

犬を殺傷しただけで重罰に処された、犬のために巨大な犬小屋(「お犬様御用屋敷」)が作られた、などの逸話が庶民感情との乖離を象徴するものとされました。しかし、これらの事例の中には誇張や脚色も多く、実態を反映していない場合もあります。

現代の視点で見る生類憐みの令の意義

生類憐みの令は、現代の動物愛護法に通じる先駆的な試みでもあります。将軍綱吉自身が仏教や儒教思想の影響を受け、「命あるものを慈しむ」という倫理観を政策に反映させたとも考えられています。

例えば、捨て子を禁じた条文や、病人や障害者への支援を推奨した規定もあり、単なる動物保護ではなく「命全体への配慮」が根幹にあったとする見解もあります。

批判と再評価のはざまで

当時の価値観からすれば、犬を保護することに行政資源を割くことは合理性に欠けるという批判も当然でした。しかし、現代の動物愛護政策と照らしてみれば、「動物の命に価値がある」と明言した初めての国家政策といえる側面もあります。

また、綱吉が発布したことによって当時の日本における命の尊重の価値観が社会に浸透し、文化の一部として影響を残したという歴史的功績も注目されています。

動物と人間の関係性を問い直す

「人間が動物より上」とする見方は、近代文明における合理性の産物でもあります。しかし、現代では人間中心主義を問い直し、動物福祉や環境倫理の重要性が叫ばれています。

その意味で、「生類憐みの令」は動物と人間の関係性を見直す契機を与えてくれる貴重な歴史的資料ともいえます。命の尊さを前提にした政策は、現代社会に通じるメッセージを含んでいるのです。

まとめ|「悪法」と一刀両断する前に

生類憐みの令を単なる悪法と片付けるのではなく、その時代背景や理念を知ることで、より多角的な理解が可能になります。動物の命に対する敬意や、弱者を守ろうとした意思は、今なお価値ある視点です。

歴史を学ぶことは、現代社会における倫理や制度の原点を見つめ直すことでもあります。「なぜその法ができたのか」「どのような思想が背景にあったのか」を知ることは、より豊かな視野をもたらしてくれるはずです。

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