2025年7月5日に大災害が起こると予言された漫画『私が見た未来 完全版』が話題となり、SNSやメディアでも注目を集めました。しかし、当日何も起こらなかった場合、作者に損害賠償の責任が生じるのではという疑問を持つ方も少なくありません。この記事では、予言や主張に対する法的責任や社会的影響について、冷静に解説します。
そもそも予言には法的な強制力はない
まず大前提として、漫画や書籍で「未来にこうなる」と主張すること自体には法的な強制力はありません。著者が「予言」として描いた内容は、表現の自由の範囲であり、明確な虚偽の事実を用いて他人の権利を侵害した場合を除いて、民事責任や刑事責任を問われることは通常ありません。
つまり、「○月○日に大災害が起きる」と書かれていたとしても、それにより誰かが実害を被ったと明確に立証できなければ、法的問題には発展しません。
損害賠償が発生するのはどんなケースか?
損害賠償が認められるのは、特定の個人や団体に対して名誉毀損、業務妨害、または誤認誘導などの実害が生じた場合です。
例えば、「○○社の食品に毒が入っている」と虚偽の情報を発信し、その会社の売上が著しく下がった場合は、損害賠償の対象となりえます。しかし、『私が見た未来』のような災害予言の場合、誰か特定の被害者が明確に存在するわけではないため、訴訟が成立する可能性は極めて低いのです。
読者が不安になった場合はどうなる?
予言的な表現が広まり、人々の間に不安が生じることはあります。とくにSNSの拡散力により、事実以上に不安が助長される場合も少なくありません。
しかし、「不安を感じた」だけでは法的損害としての立証は困難です。過去には都市伝説系の本や予言者による発言でも社会的議論が起きた例はありますが、それが訴訟に発展した事例は極めてまれです。
出版業界や書店の立場はどうなのか?
出版社や流通業者は、法令に違反しない限り、読者のニーズに応じて様々な書籍を発行・販売しています。仮に内容がオカルト的であっても、それが「虚偽を装った事実」ではなく、明確にフィクションや主張であれば、販売の自由が保障されています。
読者もそれを理解したうえで手に取ることが前提となっており、「予言が外れたから返金してほしい」といった請求も、通常は認められません。
類似事例:過去の“外れた予言”とその扱い
1999年の「ノストラダムスの大予言」や2012年の「マヤ暦の終末説」など、かつて世間を騒がせた“予言”は数多く存在します。しかし、それらの作者や発信者が損害賠償を負った例はほとんどなく、社会的には「話題」として消化されていくのが通例です。
このような予言は、信じるかどうかは個々人の判断に委ねられており、受け手のリテラシーが重要とされています。
まとめ:信じる・信じないは自己判断、責任追及は現実的でない
『私が見た未来』の予言に関して、仮に7月5日に何も起こらなかったとしても、作者や出版社が損害賠償責任を負う可能性は極めて低いです。
一連の騒動からわかるのは、情報の受け取り方を自分でコントロールする力=メディアリテラシーの重要性です。予言的な表現もひとつの読み物として楽しみ、惑わされず冷静に捉えることが求められます。