近年、SNSや動画配信などを通じて「法律に違反していなければ何をしても構わない」という言説が一部で支持されています。特に、ひろゆき氏のような論客がこの考えを発信することで、若者やネットユーザーに広まりつつあります。しかし、この言葉をそのまま受け入れることは本当に社会にとって正しいのでしょうか。本記事では、法律とモラルの違いや、それが社会に及ぼす影響について掘り下げていきます。
「法に触れなければ何をしてもいい」の本質とは
この主張は、基本的に刑罰や罰則の観点から見れば「事実」ではあります。つまり、法律違反がなければ処罰されることはありません。しかしそれは、あくまで「処罰されない」という意味であり、「社会的に許される」「問題がない」という意味ではありません。
たとえば、満員電車で大声で電話をする、公共の場所でゴミを撒くといった行為は、必ずしも法律違反ではない場合もありますが、明らかに社会常識やマナーに反しています。
マナーやモラルは法律よりも広い範囲を規定する
日本社会では、法だけでなく、道徳やマナーといった「明文化されないルール」が強く機能しています。これらは社会の秩序や信頼関係を維持する上で欠かせない存在です。
法律は「最低限のルール」であり、守らなければ処罰される基準ですが、マナーやモラルは「よりよく生きるためのルール」です。たとえば、電車内で席を譲る、行列に割り込まないなどは法律に書かれていませんが、守られているからこそ社会の調和が保たれています。
自由と責任はセットで語られるべき
「やりたいことをやっていい」という自由には、常に「その結果に責任を持つ」という側面がつきまといます。法律に違反していなくても、他人を不快にさせたり、信頼を失ったり、炎上するリスクはあります。
企業であればコンプライアンスの問題として取引先との信用が落ちることもあり、個人であれば人間関係が壊れる要因にもなりかねません。自由は尊重されるべきですが、それに伴う責任を軽視する社会は長く持続できません。
実例:法には触れないが批判された行為
かつて人気インフルエンサーが、レストランで大量に食べ残して写真を投稿したところ、「店への敬意がない」「食べ物を粗末にしている」と批判が殺到しました。この行為自体は違法ではありませんが、モラルに反していたため社会的非難を浴びました。
また、国会議員による不適切な発言や行動なども、違法性がなくとも道義的責任が問われ、辞職や謝罪に至るケースもあります。
ネット世論と「正論」の限界
インターネット上では、「論理的に正しい=正論」とする意見がもてはやされる傾向があります。しかし現実社会では、「正論が常に正義とは限らない」のもまた事実です。
相手の立場や背景を無視して一方的に突きつける正論は、逆に信頼や対話を壊すことがあります。特に「法にさえ触れていなければ問題ない」といった主張は、モラルや信頼の土台を揺るがしかねません。
まとめ:法律とモラルのバランスが健全な社会を作る
「法律に触れなければ何をしてもいい」という主張は、一見合理的なようで、社会全体の信頼や秩序を破壊する危険性をはらんでいます。法律は社会の最低限のルールであり、それを超えてモラルやマナーを守ることで、私たちは共に安心して暮らすことができます。
表面的な正論や自由の主張だけでなく、その行動が社会にどう影響するかを考える視点を持つことが、より成熟した社会人としての姿勢ではないでしょうか。