親が自分の子を事故で亡くしたときに「かわいそう」と言われ、他人を傷つけた場合に「加害者」と非難される理由

交通事故などのニュースで「親が自分の子を車でひいてしまった」という悲しい出来事が報じられると、コメント欄には「お母さんがかわいそう」「気の毒で見ていられない」という声が多く見られます。一方で、もし被害者が他人だった場合は「不注意すぎる」「許せない」と非難の声が殺到します。同じ“事故”なのに、なぜ世間の反応がここまで違うのでしょうか。本記事では、この心理の背景と、社会が事故をどう受け止めるかを解説します。

人は「自分が当事者だったら」と考えたときに共感しやすい

人間はニュースを見たとき、自分や身近な存在に置き換えて想像する傾向があります。自分の子どもを誤って傷つけてしまうという状況は、多くの親にとって「自分もそうなるかもしれない」と強く感じる場面です。そのため、被害者の痛みと同時に加害者の苦しみにも共感し、「かわいそう」「どうか立ち直ってほしい」という感情が湧くのです。

心理学的には、これは“共感的苦痛”と呼ばれる反応で、人の悲劇に共鳴して自分の心にも痛みを感じることで、攻撃ではなく同情が生まれる現象です。

「他人の被害」では社会的責任を強く意識する

一方で、被害者が赤の他人の場合、視聴者は“第三者視点”で事件を評価します。このときは「加害者が社会的に果たすべき責任」や「安全意識の欠如」などに注目が集まりやすくなります。つまり、感情よりも倫理やルールの側面から判断されるため、非難が集中しやすくなるのです。

また、「他人を傷つけた」という構図は“自分が被害者になるかもしれない”という恐怖を喚起し、怒りや批判という形で表出するケースも多いといえます。

事故報道が「かわいそう」か「責められる」かを分ける3つの要素

同じような事故でも、世論の反応を左右する要因があります。

  • ① 被害者と加害者の関係性: 親子・家族間だと感情移入しやすく、他人だと責任追及が強まる。
  • ② 悪意・過失の度合い: 飲酒運転やスマホ操作など“防げた事故”は非難の対象になりやすい。
  • ③ メディアの伝え方: 報道のトーン(涙ながらの会見・葬儀の様子など)によって、視聴者の感情が誘導されやすい。

特に報道番組では、ナレーションや映像演出の影響が大きく、「悲劇的に描かれるか」「不注意として描かれるか」で印象が全く変わってしまいます。

「かわいそう」も「許せない」も、どちらも人間の自然な反応

このような世論の二極化は、単に矛盾しているわけではなく、人の感情の二面性から生じています。親子の事故では「悲劇をどう受け止めるか」という同情が働き、他人の事故では「再発を防ぐにはどうすべきか」という社会的正義感が働くのです。

つまり、人は“身内の痛み”には寄り添い、“社会の危険”には警鐘を鳴らす。この二つの反応はどちらも社会に必要なものと言えるでしょう。

まとめ:事故の評価は「感情」と「社会規範」のバランスで変わる

同じ事故でも、「誰が」「誰に」起こしたのかによって人々の反応は大きく変わります。それは、私たちが感情と倫理の両面から出来事を見ているからです。身内の事故に共感し、他人の事故に怒りを感じるのは矛盾ではなく、人間社会が持つ“共感”と“規範意識”の表れです。大切なのは、どちらの立場でも「防げる事故をなくすために何ができるか」を考える視点を持つことです。

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