歩行者が赤信号を無視して横断歩道へ進入し、自動車と衝突して死亡した場合、「歩行者が交通ルールを破ったのだから、ドライバーには一切責任がないのでは」と考える人もいるでしょう。しかし交通事故の責任は、単純に「どちらが信号を無視したか」だけで決まるものではありません。
日本では、死亡事故が発生するとドライバーの刑事責任と民事上の損害賠償責任はそれぞれ別の基準で検討されます。そのため、刑事裁判で無罪になったとしても、必ずしも民事上の賠償責任までゼロになるとは限りません。反対に、事故状況によってはドライバーの過失が認められず、刑事責任を負わないケースも考えられます。
ここでは、信号無視をした歩行者との死亡事故を例に、ドライバーの責任がどのように判断されるのか、日本と海外の考え方を含めて整理します。
歩行者が信号無視していてもドライバーが自動的に無罪になるわけではない
日本の道路交通法では、歩行者にも信号機の表示に従う義務があります。したがって、歩行者用信号が赤なのに道路を横断する行為は交通ルールに反するものです。
ただし、歩行者が信号無視をしていたという事実だけで、衝突した自動車の運転者について「責任は一切ない」と自動的に決まるわけではありません。ドライバー側についても、速度、前方確認、ブレーキ操作、道路状況などから事故を回避できた可能性が検討されます。
例えば、青信号で交差点へ進入していたドライバーの前に赤信号を無視した歩行者が突然飛び出した場合でも、実際の事故では「発見可能な時点はいつだったか」「その時点から制動して衝突を回避できたか」などが重要になります。
死亡事故では「過失運転致死」が問題になる
自動車の運転上必要な注意を怠り、それによって人を死亡させた場合には、自動車運転死傷処罰法上の過失運転致死罪が問題となります。しかし、死亡という重大な結果が発生しただけで当然に犯罪が成立するわけではありません。
刑事責任を認めるには、運転者に結果を回避するための注意義務違反、つまり刑事上の過失が認められる必要があります。事故の状況から衝突を予測することも回避することも現実的に不可能だったのであれば、過失運転致死罪が成立しない可能性があります。
例えば、制限速度を守り、青信号に従って正常に走行していた車の直前へ、死角から歩行者が突然飛び出し、物理的に停止できる距離がなかったケースを考えてみます。この場合には、ドライブレコーダー映像、衝突地点、速度、歩行者を最初に確認できた地点、空走距離や制動距離などが重要な判断材料になります。
日本でも交通死亡事故でドライバーが無罪になることはある
日本でも、人が死亡した交通事故について運転者が必ず有罪になるわけではありません。検察官が過失を立証できない場合には不起訴となることがありますし、起訴された場合でも、裁判所が犯罪の成立に必要な過失を認定できなければ無罪となり得ます。
交通事故の刑事裁判では、「事故が起きたのだから注意不足だったはず」という結果論だけではなく、その事故が発生する前の具体的状況を基準に注意義務が検討されます。予測不可能な行動にまで常に対応する義務を運転者へ課すことはできないからです。
したがって、歩行者側に極めて危険な信号無視や飛び出しがあり、ドライバーが交通法規を守って適切に運転していても事故を避けられなかったと判断されれば、刑事責任を問えない場合があります。ただし、個々の事故は証拠と具体的状況によって判断されるため、「赤信号の歩行者をはねたら無罪」という一般的なルールが存在するわけではありません。
刑事上の「無罪」と民事上の「賠償責任なし」は別問題
交通事故を理解するうえで特に重要なのが、刑事責任と民事責任は別々に判断されるという点です。
刑事裁判では、被告人が犯罪を行ったと合理的な疑いを超えて認定できるかが問題になります。一方、民事では事故による損害について、誰がどの範囲で負担するのかが争われます。そのため、刑事事件で不起訴や無罪になったことだけを理由として、民事上の損害賠償責任まで当然に消えるわけではありません。
例えば刑事裁判では運転者の過失を犯罪として認定するだけの証明が足りず無罪となった一方、民事訴訟では一定の注意義務違反が認められ、損害の一部について賠償責任を負うという結果も法理論上あり得ます。
日本では自賠法3条も重要になる
人身事故の民事責任では、民法だけでなく自動車損害賠償保障法(自賠法)が重要です。自賠法3条では、自動車を自己のために運行の用に供する者は、その運行によって他人の生命または身体を害した場合、一定の場合を除いて損害賠償責任を負うと定めています。
同条には免責の要件もあります。運行供用者側が免責されるためには、自己および運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかったこと、被害者または運転者以外の第三者に故意または過失があったこと、自動車に構造上の欠陥または機能の障害がなかったことを証明する必要があります。
つまり日本の人身事故について「ドライバーに刑事上の過失がなかった」という一点だけから、直ちに「民事でも1円も支払う必要がない」と結論付けることはできません。刑事責任、民法上の責任、自賠法上の責任を分けて考える必要があります。
歩行者の信号無視は民事の過失割合に大きく影響する
一方、歩行者が赤信号を無視していた事実は、民事上まったく無視されるわけではありません。被害者側にも事故発生について過失があれば、民法上の過失相殺によって賠償額が減額されることがあります。
過失割合は「歩行者だから常に0、自動車だから常に100」と固定されているわけではありません。信号の表示、横断場所、車両の進行方向、速度、昼夜、道路状況など具体的事情によって変化します。
例えば、車側が青信号で進行しているところへ歩行者が赤信号を無視して横断したケースでは、歩行者側の過失が大きく評価される可能性があります。ただし、ドライバーに速度超過や著しい前方不注意などがあれば、その事情も加味されます。
「歩行者が100%悪い」と判断される可能性はある?
理論上、事故の具体的事情によって運転者側に過失が認められないという判断はあり得ます。しかし、歩行者が信号無視をしていたという事実だけで、すべてのケースについて歩行者100%・自動車0%になるわけではありません。
例えば同じ赤信号横断でも、「車の数メートル前へ突然走り出した場合」と「かなり遠くから歩行者の横断が見えていたのに減速せず衝突した場合」では、ドライバーに求められる対応は大きく異なります。
交通事故の責任判断では、このような個別事情が非常に重要です。そのため、事故当事者になった場合には一般的な過失割合だけで自己判断せず、ドライブレコーダー映像や防犯カメラ、目撃者、実況見分の内容などを保存することが重要になります。
海外でも「信号無視した歩行者ならひいても無条件で免責」という単純な制度ではない
海外では歩行者の道路横断に関する規則や、自動車事故の損害賠償制度が国・地域によって異なります。いわゆるjaywalking(道路の不適切な横断)を禁止・規制している地域もありますが、それは「違反した歩行者に衝突すれば運転者は常に無罪」という意味ではありません。
多くの法制度では、ドライバー側に注意義務違反があったか、歩行者側の行動が事故へどの程度寄与したかなどを具体的に検討します。民事についても、被害者側の過失によって賠償額を減額する制度、一定割合以上の過失があると請求が制限される制度など、国や地域によって仕組みが異なります。
そのため「歩行者が赤信号なら運転者は刑事・民事とも完全免責になる国がある」と一括りにするのは正確ではありません。特定の国について判断する場合は、その国・州などの交通法規、刑法、民事責任制度を個別に確認する必要があります。
事故回避が可能だったかは停止距離もポイントになる
突然の飛び出し事故では、「ブレーキを踏めば止まれたのではないか」と考えがちですが、自動車は危険を発見した瞬間に停止するわけではありません。危険を認識してからブレーキが効き始めるまでにも車は進み、その後さらに制動距離が必要になります。
例えば時速60kmの車は1秒間に約16.7m進みます。そのため歩行者がごく近距離で突然進路へ入った場合、ドライバーが直ちに反応しても衝突を物理的に回避できないことがあります。
逆に、かなり前方から歩行者の危険な横断を確認できたにもかかわらず、速度を落とさず漫然と進行したのであれば事情は変わります。刑事・民事のいずれでも、単なる信号の色だけでなく「いつ危険を認識でき、何をすれば事故を回避できたのか」が重要になります。
実際の事故ではドライブレコーダーなど客観的証拠が重要
死亡事故では当事者である歩行者本人から事故状況を聞けないため、客観的な証拠が特に重要になります。ドライブレコーダー、周辺店舗などの防犯カメラ、信号サイクル、目撃者、車両の損傷状態、タイヤ痕などが事故状況の再現に使われます。
例えばドライブレコーダーに、車側の信号が青で、歩行者が車の直前へ突然走り込んだ様子が記録されていれば、運転者が衝突を予測・回避できたかを判断する重要な証拠になります。
反対に映像から速度超過やスマートフォン操作などが判明すれば、ドライバーに不利な証拠となることもあります。交通事故の法的責任は「自動車対歩行者」という属性だけではなく、こうした証拠を基に具体的に判断されます。
まとめ|信号無視でも「歩行者が悪い=ドライバーの全責任ゼロ」とは限らない
赤信号を無視して横断することは歩行者側の交通違反ですが、それだけを理由として、死亡事故を起こしたドライバーが自動的に刑事・民事の双方で完全免責になるわけではありません。
日本でも、事故を予測・回避することができず運転者の過失を認定できない場合には、死亡事故であっても刑事責任を問えない可能性があります。一方、刑事上の無罪・不起訴と民事上の損害賠償責任は別問題であり、人身事故では自賠法の規定についても検討する必要があります。
重要なのは「誰が交通違反をしたか」だけではなく、事故直前の状況からドライバーが危険を予測し、衝突を回避できたかどうかです。信号表示、速度、見通し、飛び出したタイミング、制動可能距離などによって結論は変わります。実際の事故について刑事責任や賠償責任を判断する必要がある場合は、個別事情による差が大きいため、交通事故を扱う弁護士などの専門家へ相談することが適切です。