職場の既婚上司との性的関係では、「既婚者だと知っていた」という事実だけを見て単純な不倫問題と判断するのは危険です。上司と部下という立場を利用され、断れば仕事上の不利益があると感じて何も言えなかった場合には、セクシュアルハラスメントや民事上の不法行為、事情によっては不同意性交等罪などの刑事事件が問題になる可能性があります。一方、本当に自由な意思で既婚者との性的関係を持っていたのであれば、逆に配偶者から不貞慰謝料を請求される可能性があります。また、上司へ渡したお金についても、単なる贈与なのか、貸したお金なのか、要求・欺罔・威圧によって渡したのかで返還請求の可否が大きく変わります。「既婚者と知っていた」「お金を渡した」「写真を送った」という断片的な事実だけでは結論は出せず、本人がなぜ断れなかったのかを含めた経緯全体を確認することが重要です。
最初に確認すべきなのは「不倫だったか」より性的関係が本人の自由意思だったか
既婚者と性的関係を持ったケースでは、どうしても最初に「不倫」「不貞」という言葉が出てきます。しかし、本人が「好意はなかった」「何も言えず関係を持った」と説明しているのであれば、まず確認すべきなのは性的関係に自由な意思があったかどうかです。
特に相手が職場の上司であれば、評価、人事、シフト、契約更新、配置、昇進などについて影響力を持っている場合があります。「断ったら職場にいられなくなる」「上司なので逆らえない」と感じていた可能性も考えなければなりません。
法務省は、不同意性交等罪・不同意わいせつ罪について、同意しない意思を形成・表明・全うすることが困難な状態を生じさせる原因の一つとして、経済的または社会的関係上の地位に基づく影響力によって不利益を憂慮することを挙げています。会社における社会的関係も含まれると明示されています。[参照]
「嫌だと言えなかった」だけで犯罪になるわけではないが、拒絶できなかった事情は重要
本人が明確に「嫌だ」と言わなかったからといって、直ちに自由な同意があったと判断されるわけではありません。一方、「好意がなかった」「断らなかった」という事実だけで直ちに不同意性交等罪が成立するわけでもありません。
現在の刑法では、暴行・脅迫、心身の障害、アルコール・薬物、意識が明瞭でない状態、恐怖・驚愕、虐待による心理反応、経済的・社会的関係上の地位による影響などによって、同意しない意思を形成・表明・全うすることが困難だったかが重要になります。[参照]
例えば「断ったら契約を更新しないと言われた」「上司から人事評価を下げるような発言をされた」「拒否した後も迫られ、怖くて従った」といった事情があれば、単なる社内恋愛とは異なる問題になる可能性があります。
上司の立場を利用した性的関係なら慰謝料を請求できる可能性がある
本人の自由な意思に反して性的関係を持たされたことが不法行為に当たる場合、加害者に対して損害賠償・慰謝料を請求できる可能性があります。刑事事件として立件されるかどうかと、民事上の損害賠償責任が成立するかどうかは別の問題です。
また職場での問題であるため、セクシュアルハラスメントとして勤務先の対応が問題になる場合もあります。厚生労働省の労働局は、ハラスメントについて会社の人事労務担当者や相談窓口への相談を案内し、会社で対応してもらえない場合には都道府県労働局の雇用環境・均等部(室)や総合労働相談コーナーへ相談できるとしています。[参照]
ただし、慰謝料が認められるか、いくらになるかは、関係が始まった経緯、上司と部下の力関係、本人の意思、拒否や威圧の状況、期間、被害内容、精神的影響、証拠などによって個別に判断されます。
上司に渡したお金は必ず取り返せるわけではない
上司へ渡したお金については、「渡した」という事実だけでは返還できるか判断できません。法律上どのような性質のお金だったのかを整理する必要があります。
| お金を渡した事情 | 返還の考え方 |
|---|---|
| 貸したお金 | 貸付けであることを立証できれば返還請求を検討できる |
| 自由意思によるプレゼント・贈与 | 原則として後から単純に返してもらうのは難しい |
| 「必ず返す」と言われて渡した | 貸付けや詐欺等に該当しないか具体的事情を確認 |
| 嘘を信じて渡した | 詐欺による意思表示の取消し等を検討できる場合がある |
| 脅された・立場を利用されて渡した | 強迫、不法行為、刑事事件等を検討できる可能性がある |
例えば「50万円貸して。来月必ず返す」とLINEで言われて振り込んだケースと、「好きに使って」と本人の自由意思で50万円をプレゼントしたケースでは、法律上の扱いが大きく異なります。
性的関係を断れなかったのと同じ力関係の中で金銭も要求されていたのであれば、その点も切り離さず弁護士へ説明することが重要です。
振込履歴だけでは「貸した証拠」にならない場合がある
銀行振込やPayPayなどの履歴が残っていれば、「いつ、いくら相手へ渡したか」を示す重要な資料になります。しかし、振込履歴だけでは、そのお金が貸付金なのか贈与なのかまでは分からないことがあります。
そのため、「貸してほしい」「返す」「○月まで待って」といったLINE・メール、借用書、録音などが重要になります。
反対に、本人が「プレゼントする」「返さなくていい」などと送っていた場合は相手から贈与だったと主張される可能性があります。メッセージの一部分だけではなく、前後を含めて保存しておくことが大切です。
性的な写真を送っていたことだけで「合意した関係」とは断定できない
本人が上司へ性的な写真などを送っていた場合、相手側が「本人も積極的だった」と主張する材料に使う可能性はあります。しかし、写真を送ったという一つの行為だけから、すべての性的行為に自由意思で同意していたと当然に決まるものではありません。
例えば上司から繰り返し要求されて断れず送ったのか、本人が自発的に送ったのか、断った場合にどのような反応をされたのかなど、経緯によって意味は変わります。
そのため写真そのものだけでなく、「写真を送って」「なんで送らないの」「会社でどうなるか分かっているよね」といった前後のメッセージがあれば、削除せず保存しておくべきです。
性的画像を相手が持っている場合は拡散リスクにも注意する
関係を終わらせようとした際に、「写真を公開する」「家族や職場へ送る」などと脅されるケースがあります。そのような言動があれば、単なる男女トラブルとして本人同士だけで解決しようとせず、警察や弁護士へ早めに相談することが重要です。
相手に画像を消させるため、自分で相手のスマートフォンを奪ったり無断でアカウントへログインしたりすると別の問題を生むおそれがあります。
脅迫的なメッセージが届いた場合にはスクリーンショットだけでなく、アカウント名、日時、前後のやり取りが分かる形で保存してください。
警察と弁護士は「どちらか一方」ではなく役割が違う
警察と弁護士は目的が異なります。不同意性交等、脅迫、強要など犯罪の可能性がある場合は警察への相談を検討します。一方、慰謝料や渡したお金の返還請求、相手の妻から請求された場合の対応など、民事上の問題は弁護士への相談が中心になります。
性犯罪・性暴力については、警察の全国共通相談番号「#8103(ハートさん)」があり、性別・年齢を問わず相談できます。匿名相談も可能です。[参照]
また、性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センターには「#8891」でつながり、医療的支援、法的支援、カウンセリングなどの支援を受けられます。[参照]差し迫った危険がある場合は110番です。
本人が既婚者だと知っていたなら妻から慰謝料請求される可能性はある
一方で、性的関係が本人の自由意思による不貞行為だったと評価される場合には、相手の妻から慰謝料を請求される可能性があります。
特に「相手が既婚者だと知らなかった」ケースとは異なり、最初から既婚者であることを認識していたのであれば、不貞慰謝料請求を受けるリスクを軽視できません。
裁判例でも、配偶者と第三者が不貞関係を持った場合の第三者に対する不法行為責任が問題になります。一方、不貞関係が始まった時点ですでに夫婦の婚姻関係が破綻していた場合には、特段の事情がない限り第三者は不貞について不法行為責任を負わないとする最高裁判例があります。裁判所の判例資料でもこの最高裁平成8年3月26日判決が確認されています。[参照]
ただし「既婚者と知っていた=必ず妻へ慰謝料を払う」でもない
既婚者だと知っていたことは重要ですが、それだけで必ず慰謝料責任が確定するわけではありません。
例えば、性的関係が本人の自由意思ではなく、上司の地位を利用した強制的・威圧的な関係だった場合には、「既婚者と自由意思で不貞関係を持った」という通常のケースとは前提が大きく異なります。また、不貞関係が始まる前から上司夫婦の婚姻関係がすでに破綻していたかどうかも重要です。
「既婚者だと知っていた」という一点だけで、被害者なのか不貞の共同不法行為者なのかを判断してはいけません。実際の関係性と本人の自由意思を確認する必要があります。
妻から慰謝料請求が届いたら自分だけで認めたり支払ったりしない
相手の妻やその代理人弁護士から内容証明郵便などで慰謝料を請求された場合は、慌てて「全部私が悪かった」と回答したり、指定額をすぐ支払ったりする前に弁護士へ相談するのが安全です。
慰謝料請求を受けたからといって、書かれている金額をそのまま支払う義務が確定したわけではありません。性的関係の経緯、既婚者だと知った時期、夫婦関係の状態、上司からの圧力などを確認する必要があります。
特に本人が上司の影響力によって性的関係を拒絶できなかったと考えている場合、その事情を伝えずに謝罪書や示談書へ署名すると、その後の対応が難しくなることがあります。
会社へ相談する場合は上司本人以外の窓口を利用する
相手が直属の上司なら、その上司本人に「セクハラについて相談したい」と申し出ても適切な対応を期待できないことがあります。人事、コンプライアンス窓口、ハラスメント相談窓口、さらに上位の管理職など、相手とは別のルートを利用します。
会社へ相談しにくい、相談しても取り合ってもらえない、相談後の不利益が心配という場合は、都道府県労働局の雇用環境・均等部(室)や総合労働相談コーナーへ相談できます。厚生労働省系の労働局も、職場のハラスメントについて会社で対応されない場合には労働局への相談を案内しています。[参照]
退職を考えている場合でも、証拠を確保する前に社内メールや業務チャットへアクセスできなくなることがあるため、適法な範囲で必要資料を整理してから専門家へ相談するとよいでしょう。
相談前に残しておきたい証拠
警察や弁護士へ相談する場合、本人の記憶だけでなく客観的な資料があると事実関係を整理しやすくなります。
- 上司とのLINE・メール・SNS・社内チャット
- 性的関係を求められたメッセージ
- 断った、困っている、怖いなどと伝えた記録
- 上司から仕事上の不利益を示唆された記録
- 写真を要求された経緯が分かるメッセージ
- 銀行振込・PayPayなど金銭を渡した記録
- 「返す」「貸してほしい」など金銭の性質が分かる記録
- ホテル・交通・位置情報など日時を確認できる資料
- 本人が当時の状況を家族や友人へ相談したメッセージ
- 体調悪化があれば診療記録や診断書
LINEなどは一部分だけをスクリーンショットするより、相手のアカウントが分かり、前後の文脈と日時も確認できる形で保存した方が有用です。
本人が記憶している出来事についても、「2026年○月ごろ、職場でこう言われた」「その後ホテルへ行った」「断るとこう言われた」というように時系列表を作ると、弁護士や警察へ説明しやすくなります。
本人ではなく知人・家族が相談することもできる
性被害について本人がまだ警察へ行く決心がついていない場合、周囲が無理に被害届を出させることが必ずしも最善とは限りません。
警察庁の犯罪被害者支援案内では、各都道府県警察の被害相談窓口について、被害を受けた本人だけでなく家族や友人からの相談も受け付けていると案内しています。[参照]
まず家族が相談窓口へ「本人が上司との性的関係を断れなかったと言っている。どのように支援すればよいか」と相談し、本人の意思を尊重しながら次の行動を決める方法もあります。
警察と弁護士のどちらを先にするかは状況で変わる
明確な性的強要、脅迫、暴力、画像拡散の脅しなどがあり、現在も危険があるなら警察への相談を優先します。性犯罪被害については#8103、緊急性が高ければ110番を利用できます。[参照]
一方、「犯罪になるかは分からないが慰謝料を請求したい」「渡した数十万円を取り戻したい」「相手の妻から請求されそう」といった問題が中心なら、まず男女問題・労働問題・性被害などを扱う弁護士へ資料を持参して相談すると整理しやすくなります。
実際には両方へ相談するケースもあります。刑事事件としての対応と民事上の金銭請求は別々に進められることがあるため、「警察か弁護士か」の二者択一と考える必要はありません。
まとめ:既婚上司との関係は「不倫」と決めつけず、自由な同意・金銭・職場での力関係を分けて確認する
職場の既婚上司と性的関係を持ったケースでは、「既婚者と知っていたから単なる不倫」と即断するのではなく、本人が自由な意思で性的関係を選択できたのかを最初に確認することが重要です。
本人が上司からの不利益を恐れて拒否できなかったなどの事情があれば、セクシュアルハラスメントや民事上の慰謝料請求、さらに事情によっては不同意性交等罪などが問題になる可能性があります。法務省も、会社などの社会的関係上の地位に基づく影響力によって不利益を憂慮し、同意しない意思を形成・表明・全うすることが困難になった場合を不同意性交等罪等の判断で問題となる類型として説明しています。[参照]
上司へ渡したお金については、貸付金なら返還請求を検討できますが、自発的な贈与なら単純に取り戻せるとは限りません。嘘、脅し、上司としての圧力などによって渡したのであれば別の法的構成が考えられるため、振込履歴と前後のメッセージをセットで弁護士に確認してもらうのが適切です。
反対に、本人が既婚者だと知りながら自由な意思で性的関係を続けていたと判断されれば、上司の妻から不貞慰謝料を請求される可能性があります。ただし、不貞開始前から婚姻関係がすでに破綻していた場合や、そもそも自由意思による関係ではなかった場合など、責任の有無を左右する事情があります。[参照]
したがって最初にすべきことは、上司へ直接返金や慰謝料を要求したり、妻からの請求を恐れて証拠を消したりすることではありません。LINE・メール・振込履歴・写真を要求された経緯・仕事上の圧力が分かる記録などを消さずに保存し、時系列を整理することです。そのうえで民事問題は弁護士、性的強要や脅迫など犯罪の可能性がある場合は警察や#8103、性暴力被害について幅広い支援が必要なら#8891のワンストップ支援センターへ相談すると、問題を切り分けて対応しやすくなります。[参照]